ごあいさつ
北海道にお住いのみなさまへ。
わたしは普段、東京で定期的にレッスンをしています。
常々、日本のいろいろなところでレッスンをしいろいろな方々にお会いしたいと思っておりましたが、なかなか長期的な視点を持って定期的にレッスン会を実現しようという動きが起きませんでした。それがいつも残念でした。
しかしついに、室蘭在住の 佐藤義高さんが、真に長期的な視座とビジョンを持ってレッスンのオーガナイズに立ち上がってくださいました。佐藤義高さんの志にわたし自身とても響くものがあり、「北海道アレクサンダー・テクニーク・セミナー」プロジェクトに関わりたいと心から思うことができました。
これから5年、10年と北海道に音楽がもっとたくさん溢れるための活動を続けたいと思います。
みなさまにお会いできることを楽しみにしております。
Basil Kretzer
Basil Kritzer バジル・クリッツァー
- ホルン奏者 BodyChance所属アレクサンダー・テクニーク教師 日本吹奏楽普及協会 東京支部理事
- 1984年香港生まれ。日本育ちアメリカ国籍。立命館高校卒業。
ホルン奏者として
2008年、エッセン・フォルクヴァング芸術大学卒業。 在学中、 ケルン室内歌劇団などで客演。
日本に帰国後、名古屋フィルハーモニー交響楽団、テレマン室内 オーケストラ、奈良フィルハーモニー管弦楽団、アンサンブル神 戸、あさがおブラス クインテット、宝塚歌劇場管弦楽団、ウィン ドアンサンブル奏、オーケストラ華夏などで客演。
その他には、京都祝祭管弦楽団第4回定期演奏会にて吉永雅人(新 日フィル)氏、水無瀬一成(京都市交響楽団)氏らとシューマンのコ ンチェルト シュテュックをソリストとして共演。Primo Passo Orchestra の定期演奏会にてモーツァルト作曲ホルン協奏曲第3番 を演奏。
現在、山口潤・山口明・伊藤数仁(大阪市音ウィンドオーケストラ)、蒲生絇子(大阪フィルハーモニー交響楽団)、中西順(大阪交響楽団)氏らと「NDN ホルンアンサンブル」に所属。
ホルンをこれまで、逢坂知訓(元京都市交響楽団)、小山亮(元京都 市交響楽団)、フランク・ロイド(エッセンフォルクワング芸大教 授、国際ホル ン協会会長、フィリップ・ジョーンズ・ブラスアン サンブル)、ピップ・イーストップ(ロンドン・シンフォニエッタ 他)、ルネー・アレン(元マイ ンツ交響楽団他)、ウルフリード・ト ゥーレ(元チューリッヒ交響楽団副主席ホルン奏者)、アレン・ス パンジャー(ニューヨークフィルハーモニッ ク・ホルン奏者)の各 氏に師事。
アレクサンダー・テクニーク教師としての指導実績
教育機関
- 東京藝術大学大学院非常勤講師2012~2014
- 尚美ミュージックカレッジ
- 京都華頂女子高校音楽科
- 昭和音楽大学
- 大阪音楽大学
- 札幌大谷大学芸術学部
- 福井県仁愛女子短大音楽学部
- 茨城大学教育学部
- 山形大学教育学部
演奏団体
- 仙台フィルハーモニー管弦楽団有志
- 航空自衛隊中央音楽隊ほか
楽器店
- ヤマハ銀座本店
- プリマ楽器(東京)
- ヤマハ大阪心斎橋店
- 管楽器専門店ブリラント(福島)
- ミヤコ楽器店(富山)
イベント
- 浜松国際管楽器アカデミー
- 大阪市音ウィンドオーケストラ吹奏楽フェスタ
- 西関東吹奏楽連盟バンドクリニック
- 日本サキソフォーン協会主催サクソフォーンフェスティバル
- 関西サキソフォンフェスティバル
- シンフォニックジャズ&ポップスコンテスト
- つの笛集団サマーキャンプ
- 東京交響楽団首席フルート甲藤先生門下生合宿
- 大阪音大講師トロンボーン山下浩生先生門下生合宿
- 和歌山日高川町ホルン合宿
- 阿部雅人先生(沖縄県立芸術大学)主催 ABE ホルンキャンプ
- 東京私学音楽教員研修会
- 秋田高等学校音楽教育研究会
- 群馬県東部吹奏楽連盟主催研修会
など多数。
著書紹介
- 吹奏楽部員のためのココロとカラダの相談室/楽器演奏編
- 吹奏楽部員のためのココロとカラダの相談室/メンタルガイド編
- 吹奏楽部員のためのココロとカラダの相談室/吹奏楽指導編
- 吹奏楽部員のためのココロとカラダの相談室/コンクール本番編
- マンガとイラストでよくわかる 〜 音楽演奏と指導のため のアレクサンダー・テクニーク・入門編 〜
- 愛のピアノレッスン 岩井俊憲、江崎光世共著 (以上、学研パブリッシング)
- 吹奏楽指導者が心がけてい9つのこと 管楽器がうまくなるメンタルガイドブック
- 徹底自己肯定楽器練習法 (以上、きゃたりうむ出版)
バジルのストーリー
インド仏教学者の父、東洋宗教文化学者の母の間に、1984年当時まだイギリス領であった香港で生まれ、1歳のときに日本に来日。京都で育つ。アメリカ人。
まだまだ欧米人が珍しかった頃である。
そのまま日本の保育園、小学校、中学校、高校と通う欧米人はもっと珍しかったであろうと思われる。
当然、見た目にも目立つし、「ガイジンさん、ガイジンさん」と言われて育ったことはバジルの性格や考えに大きな影響を与えたであろうことは間違いないが、めげずに京都弁をマスターした。(いまは、京都弁・標準語・英語・ドイツ語の4ヶ国語が使える)
「ガイジン」以外のアイデンティティーへの渇望を感じていた6歳の頃、ピアノを上手に演奏するクラスメートの女の子たちに憧れ、自分も習ってみようと決意。これが音楽の道に入る最初のきっかけであった。
そののち、中学生で吹奏楽部に入り、ホルンを始める。
立命館という中学高校一貫校では良き先輩に恵まれた。どんどんクラシック音楽の素敵さに引きずり込まれ、立命館大学進学を蹴ってドイツの大学にホルンを学びにいくことを決意。いま思えば、日本とアメリカというそれまでのアイデンティティーを関係のない場所にいくことが何らかの意味を持っていたのだろうと思う。
音楽大学では極度の腰痛やあがり症に悩みに悩んでとても順風満帆とはいえない苦々しい5年間であったが、その過程で、音大進学を決意したある瞬間を思い出した。
それは中学3年生で自ら望んで京都市交響楽団に在籍されていた逢阪知訓先生のレッスンであった。
初めて本格的にプロの指導を受け、また、間近でお手本を聴かせてもらい、その「レッスン」というもの自体に妙にわくわくし、大学で何を勉強したいかがイマイチわからずに悩んでいたところに一筋の光明が差したのであった。
レッスンの終わりに、わたしは先生にこう尋ねた。
「先生、どうやったらホルンの先生になれますか?」
先生は困った顔で答えた(そんなことを尋ねる中学生はあまりいなかったのだろう)
「….とりあえず音大に行けばいいかな?」
それを聞いた瞬間に、音大に行く事を決意したのであったが、その原点をすっかり忘れて苦労をした。
原点を思い出してからはあがり症やホルンの上達に改善が生まれ、自分の進むべき道は「教える」ことにあるのだなと理解できたのであった。
そんなこんなで、いまはアレクサンダーテクニーク教師の資格を取得し、日本や海外の音大、教育機関などに教えに行ったり、プロアマ問わず音楽を愛する方々とレッスンをする毎日である。